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おてつぎ運動

特集記事

2017年2月

『東日本大震災七回忌によせて』

2011年3月11日からもうすぐ6年が経つ。かつての風景が失われた沿岸部のコミュニティは、いかにして再生を果たすのだろうか。宮城県、岩手県の浄土宗3か寺を取材した。

地域をつなぐ「さくら祭り」

昨年4月の「浄念寺さくら祭り」。今年は4月23日(日)に開催予定

真新しい本堂に似つかわしくない畳の黒ずみ。「避難して来られた方に、あったまってもらおうとやかんでお茶を出したんです。その痕跡ですね。でも、『畳で寝られてよかった』と喜んでもらえましたよ」と、浄念寺(宮城県気仙沼市)住職の高橋一世さん(49)と、夫で副住職の本海さん(52)は、震災を振り返った。

本堂が再建されたのは、震災のわずか3か月前、平成22年12月だった。地震発生直後、近隣の人々は「お寺に行こう」と声をかけあって、少し高台にある本堂を目指して集まってきた。住職夫婦が「寒いですから休んでください」と迎え入れたところ、避難者はどんどん増え、当日夜には300人にものぼった。

浄念寺をたよってきた被災者の心のケアに、浄土宗の青年僧侶たちも力を尽くしてきた。震災翌春には、「楽しく集まれる場を」と願い、「浄念寺さくら祭り」を企画。追悼の法要をおつとめしたあと、餅つきや、大分・佐賀教区から寄進されたお米を被災者に5年間にわたり配ってきた。檀信徒はもちろん、本堂に避難された300人すべてに案内を送ったところ、200人を超える参加があったという。

「浄念寺さくら祭り」は、以降も毎春行われ、回を重ねるごとに賑わいを増してきている。「震災以降、多くの方々に助けていただきました。お祭りは『あのとき大変だったね』と言い合える場になっています」と、住職夫婦は口をそろえて語った。

お寺を再び開かれた場へ

右手は盛り土の上に建てられた団地。
左手に見える浄土寺本堂周辺も、かさあげを待つ

津波により檀信徒301人もの命が失われた浄土寺(岩手県陸前高田市)は、「奇跡の一本松」からわずか2キロ足らずのところに位置する。本堂も床上まで浸水し、隣接する庫裏は全壊した。住職の菅原瑞秋さん(58)は、3年にわたり仮設住宅で暮らすかたわらで、浄土宗災害復興岩手事務所の所長の任にも就いてきた。

今年は、亡くなった301人のご遺族すべてにとって、七回忌の節目。その多忙を極める時期でも、毎月11日に継続して行っているのが念仏会である。念仏会はすべて流されて離れ離れになっている檀信徒が、月にいちど会う場。「ここに来ると懐かしい顔に会える。お寺はやっぱり落ち着きます」と檀信徒はこの日を心待ちにする。

浄土寺周辺の盛り土工事が終わるのは平成30年頃の見通しで、庫裏再建は境内地の引き渡し完了後になる。檀信徒の半数以上はまだ仮設住宅に住んでおり、おそらくは同時期に自宅の再建工事を考える。前途多難だが、「昔はお寺で集会をし、境内では子どもが遊んでいました。もう一度地域に開かれたお寺になるよう、設計を進めていきたい」と、住職はただ未来を見つめる。

僧侶が果たす地域の要

本堂脇の廊下に安置される遺骨。
いまでも32の遺骨が家族の迎えを待つ

岩手県沿岸区域を走るJR山田線はまだ運休が続く。大念寺(岩手県上閉伊郡大槌町)は、その山田線の大槌駅から山側に数百メートルのところにある。

大槌町は、津波と数日間にわたる火災により、3、000戸以上が流され焼き尽くされた。大念寺も山門のすぐ手前まで津波が押し寄せた。住職の大萱生修明さん(58)は宗派を問わず避難者を受け入れ、遺体や遺骨も収容した。遺骨は、多かったときは700にものぼった。

大萱生さんは3年前から、大槌仏教界の会長として、身元不明の遺骨を納骨する「東日本大震災津波物故者納骨堂」の設立に奔走してきた。その甲斐あって、納骨堂は無事に完成し、今月納骨式を迎える。また、昨年は、大槌町に入院可能な県立大槌病院が開院し、町立の大槌学園(小中学校)も開園した。学園開園のための運営委員会会長をつとめたのも大萱生さんだった。

2か月にいちど仮設住宅をまわり、読書好きな人々のために文庫を届けにも行く。「私利私欲で動かなければ、みんなついてきてくれる」と、大萱生さんは語る。再生が萌す大槌町を、これからもまとめていくのだろう。

(取材・文 池口龍法)



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