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おてつぎ運動

特集記事

2015年7・8月

『核兵器の廃絶と世界の平和を』

7月7日に行われる「ヒロシマ原爆忌・
戦没者慰霊70周年大法要ー念仏による平和を願う集いー」

第二次世界大戦から70年。

本年は沖縄、長崎、広島など戦災をとりわけ甚大に被った教区を中心に、戦没者慰霊と平和祈念の法要が執り行われる。知恩院でも7月15日の盂蘭盆会にあわせて「終戦七十年戦没者追悼法要」を行い、同日より25日まで逮夜法要において全国檀信徒戦没者の戒名を読み上げて回向する(詳細はこちらを参照)。

平和を願う心を育む

「戦争になったらなりふりかまわず殺し合います。戦争は絶対に避けるべきです。戦争がなければ原爆も落ちませんでした」

原爆により変色・変質した瓦(左・中央)とガラス(右)

爆心地から1.5キロのところにある禿翁寺(とくおうじ)(広島市中区東白島町)住職の橋本隆志さん(65)は戦争の記憶を受け継ぎ、訪れてくる人たちに平和への想いを語り続けている。

昭和20年8月6日午前8時15分、原爆が投下された時、橋本さんの父は兵隊に出ており、お寺には祖父母が暮らしていた。爆風で本堂は倒れ、庭に出ていた祖父は生垣まで飛ばされ、足にガラスが刺さり目には強い閃光を浴びて白内障を患った。祖母は本堂の下敷きになった。祖父が呼びかけたけれども反応がなく、最後に十念を称えて立ち去ろうとしたとき、念仏の声がなんとか祖母の耳に届き一命をとりとめた。

橋本隆志住職と五体しかない六地蔵。左端の一体は原爆により割れた跡がある。

境内には三本の被ばく樹木がある。
紅梅は本堂の前で毎年豊かな花を咲かせる。

禿翁寺の境内には、五体しかない六地蔵がある。もともとは六体あったが、一体は原爆の熱線を浴び修復できないほど壊れた。六地蔵のそばにはたくさんの折鶴が見えるが、これは兵庫県川西市の小学校3校が毎年修学旅行でやってきて供えてくれるのだという。

「子供のころから戦争が悲惨だということを知ってほしい」と願う住職は、お寺を訪ねてくる修学旅行生たちに、境内に残る戦争の傷跡を案内して平和の大切さを伝える。

「お念仏を称えることで穏やかな家庭生活があり、穏やかな心があれば友達どうしも仲良くなり、社会でも良い関係が築かれていく。信仰心から平和を願う心が生まれてきます。いま、世の中のあり方は逆方向に進んでいますけれど、被爆した町に生まれた以上は、祖父母や両親から聞いてきたことをせいいっぱい伝えていきたいですね」

今と未来の存否

広島では、7月7日に禿翁寺が所属する西部組が中心となり、広島県民文化センターにおいて教区全体で「ヒロシマ原爆忌・戦没者慰霊70周年大法要ー念仏による平和を願う集いー」を行う。慰霊法要には全国各地から数十名の青年僧侶も集い、広島平和記念公園内を念仏行脚する。広島教区浄土宗青年会会長をつとめる小田切智祐さん(広島県真福寺副住職)は「戦争を実際に体験した人たちは年々少なくなっていくが、親から聞いた戦禍を語り継ぐことはできる。お念仏の教えのもとで平和を想う気持ちは、私たちの世代も変わらない」と語る。

6月9日、長崎市平和会館において、「原爆犠牲者・
戦歿者70周年慰霊法要・長崎」が開催されました。

また、もう一つの原爆被災地・長崎では、去る6月9日、長崎市平和会館において「原爆犠牲者・戦歿者70周年慰霊法要・長崎~念仏者による恒久平和を願う集い~」が執り行われた。大会を迎えるにあたって、伊藤唯眞猊下は「核兵器の廃絶と世界の平和を」と題した数百字の挨拶文をしたためられた。そこには「非人間的な核兵器の恐怖はナガサキ、ヒロシマだけのものではありません。まさに人類が直面している『今と未来の存否』にかかわる最大の課題であります」と命の尊さを訴えるとともに、「今回の法要並びにつどいを契機として、改めて核兵器の廃絶と地球規模の恒久的平和の実現に一層のご尽力を賜りたい」という言葉で、私たち一人一人が平和を希求して生きていくよう切に促された。

昨今の国内外の情勢は、猊下や全国の念仏門葉の想いとは裏腹に、兵器による報復の連鎖を生みつつある。戦争の記憶が薄れゆくなか、仏教にもとづいて平和な世界を実現できるのか。私たちの生き方がいま問われている。

(取材・文 池口龍法)



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